和歌に由来する
           錦通と錦橋


堀川に架かる錦橋
 
納屋橋の一つ上流側の橋は錦橋。橋の名前は「錦通」がとおっているから「錦橋」。

 この錦通は、広小路通、桜通とともに東西を結ぶ幹線道路。
3本の道路があまり間隔を隔てず平行して通っている。なぜこんな近い位置に3本もの幹線道路が造られたのか、不思議に思ったことはないだろうか

 今でこそ自動車がひっきりなしに走り、3本あっても時間や場所によっては混み合うこともある。しかし、計画されたのはずっと昔、終戦直後に決められた都市計画。一家に1台も2台もの自動車が普及することなど想像もできない時代である。

ではなぜこんなに道路が造られたのだろうか。

実は3本のうち錦通は生い立ちが他の道路とは違うのである。
 道路は人や車を通すために造られるのだが、この錦通は、高速度鉄道(地下鉄)を通すために計画された。当初は工費と工期の節約のため掘割式で建設し、将来、並行する幹線道路の交通量が増えたら蓋をして上を道路にする案であった。その後、いろいろ検討する中で最初から地下鉄で造ることになり、昭和32年(1957)11月に名古屋〜栄が名古屋市で最初の地下鉄として開通した。
この結果、道路3本が近い距離で並行することになったのである

高速度鉄道
  拡大図
『中村区全図』
(発行年不詳)
錦橋由来碑
 
錦通の名前の由来は一風変わっている。

 南側にある広小路通にはかつては人々の信心を集めた「薬師」があり、北側には通(
沿線の「天神」から命名がある。
 柳と桜があったので、その間に挟まれた通りに、古今和歌集に収録されている

  「見わたせば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春のなりける」 素性法師

                     の和歌から「錦通」と名付けられた。
錦橋詰のリバースクエア(街園)にある錦通の由来碑
参考:『名古屋の街 戦災復興の記録』

伊藤正博

 五条橋〜納屋橋地図

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