富士山がご神体の 木花開耶媛命  350年前からこの地に


 四間道の南はずれ、中橋の近くに浅間社がある。狭い境内だがうっそうと大木が繁り、いかにも霊気がただよう雰囲気だ。

 祭神は
木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)
 神話では、
大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘で、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻となり、海彦・山彦を産んだとされる神で、富士山がご神体だ。

 浅間社は全国に千三百社あり、総本社は富士宮市にある浅間大社だ。富士山頂にある神社は大社の奥宮で、火の神、水の神、酒の神といわれている。


 この地に浅間社が鎮座したのは正保4年(1647)。四間道が四間に拡幅されて今の姿になったのは元禄13年(1700)の大火の時と伝えられているので、それ以前からこの地にある神社だ。
 もっとも『元文3年 名古屋図』にはこの位置に「雲門寺」と書かれている。元文3年は1738年なので鎮座後90年ほど後だが、明治以前は神仏混交であったから、寺と浅間社が同居していたのであろう。幕末の『安政名古屋図』には「浅間社」と記載され、この頃には今の名称が一般化していたようである。

 境内に繁る楠木や欅は300年を越す樹齢なので、遷座当時に植えられたものであろう。

 市内のほとんどの神社は参拝する人もなく、ごみや犬の糞が散らかっていることも多い。しかし、この浅間社はいつもきれいに掃除が行き届き、社にぬかずく人の姿もよく見かける。長い歴史を背景に、下町にいきる人々の暮らしのなかで今も生きている社である。

中橋裏浅間社
 『尾張名所図会』より
 左下が浅間社。
雨の堀川、四間道風景が描かれ、供を連れた武士が浅間社の前を通りがかっている。境内は今と同じように大きな木が茂っている。
『元文3年 名古屋図』
『安政名古屋図』
 うっそうと繁る境内。
 名所図会に描かれたのが成長したのであろうか。
 打ち水され、落ち着いたたたずまい。ごみごみした下町の中の安息を感じる場所である。
「雲門寺」と書かれている。 「浅間」に変わっている。

伊藤正博  2007/10/17 

 五条橋〜納屋橋地図

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